2022年5月19日・木曜日。越谷市観光協会主催のまち歩きガイドツアー「観光ぶらっとこしがや」に参加した。今回のテーマは「越谷の偉人達」。若葉の緑を愛でながら、越谷駅から大聖寺にかけての史跡や寺院をたずねた。
観光ぶらっとこしがや|2022年5月19日
今回、ボクが参加したのは「観光ぶらっとこしがや~越谷の偉人達」。集合場所は越谷駅東口・ガーヤちゃんの蔵屋敷前。主な見学先は◇三ノ宮卯之助顕彰碑◇瓦曽根溜井防水碑◇照蓮院◇瓦曽根堰(赤水門跡)◇斎藤豊作生家跡◇大聖寺――など。
ダイジェスト
当日の様子をダイジェスト動画(スライドショー)にしました。所用時間は1分50秒。まずは目次がわりにご覧ください。
受付
午前9時15分。受付で名前を確認。参加費300円を払って、班名が書かれた名札と資料をいただいた。ボクは1班。
参加者は32人。3班に分かれ、各班ごとにガイドさんが二人付いた。案内役は越谷市観光協会・ボランティアガイドのみなさん。幹事として越谷市観光協会の高橋さんも随行。
ナント、高橋さん、今回の参加者に配る資料を忘れてきちゃったそうで、いきなり大慌て。越谷市観光協会のスタッフのかたが車で届けてくれて、なんとか間に合いました。
すいませ~ん!いきなりやっちゃいましたぁ…。このあと挽回しますから温かい目で見守ってくださいね。
出発
本日の行程と注意事項が説明されたあと、9時25分、出発進行~!
移動|市役所前中央通り
越谷駅東口ロータリーから市役所前中央通りを直進。
かつて、道路沿いには、三和銀行・住友銀行・三菱銀行・協和銀行・東海銀行・武蔵野銀行など大手銀行の支店が軒並みに進出していたことから、銀行通りと呼ばれた。
今は三菱UFJ銀行・三井住友銀行・埼玉りそな銀行が出店している。
越谷市役所|新本庁舎
五つ目の信号で止まる。前方左手は、2021年5月に新本庁舎が完成した越谷市役所。地上8階建て。1階と2階には、東側を並行して流れる元荒川と葛西用水の景観を楽しめる水郷テラスが設置されている。
越谷市中央市民会館
横断歩道を渡って右へ。越谷市中央市民会館の広場に向かった。
三ノ宮卯之助顕彰碑
最初の見学先、三ノ宮卯之助顕彰碑(さんのみや うのすけ けんしょうひ)に到着。江戸時代、日本一の力持ちとうたわれた、三野宮(越谷市三野宮)出身の三ノ宮卯之助の存在を広く知ってもらおうと、2021年4月20日に建てられた。
三ノ宮卯之助
卯之助は、徳川11代将軍・家斉(いえなり)の前で、御上覧興行(ごじょうらんこうぎょう)を行ない、江戸力持番付(えどちからもちばんづけ)では最高位の東大関に昇進。当時の番付は「大関」が最高位であった。
案内役の田中さんが、卯之助の生い立ちから、日本一の力持ちを決める催しで日本一になったこと、最期はどうなったか、などを解説してくれた。
越谷市内には、卯之助が持ち上げて奉納した力石(ちからいし)が 6個現存しています。
三ノ宮卯之助顕彰碑をあとに、次の目的地へと向かった。
移動|最勝院跡地へ
一つ目の信号を渡って左へ。横断歩道を渡る一行をオキザリス・トリアングラリスが見送ってくれた。
瓦曽根稲荷神社横
観音寺を過ぎて丁字路を右折。遊歩道に入る。左手に見える神社は瓦曽根の鎮守・稲荷神社。今日の越谷市の天気は晴れ。気温は27度。日差しが強い。新緑の遊歩道に入ると、ひんやりとした風が心地よかった。
遊歩道|四ヶ村用水跡
この遊歩道は、瓦曽根溜井(かわらぞねためい)から取水して、日光街道沿いの四つの村、瓦曽根村・西方村・登戸村・蒲生村に水を供給していた四ヶ村用水(しかむらようすい)の跡地を整備してつくられた。
遊歩道を抜けると、足立越谷線と旧日光街道が交わる瓦曽根ロータリーに出た。左に曲がる。
照蓮院駐車場|最勝院跡地
瓦曽根歩道橋を過ぎて、照蓮院(しょうれんいん)駐車場へ。この場所には、昭和30年代まで、最勝院(さいしょういん)という寺があり、成田山不動堂や観音堂があった。境内には土俵もあって、最勝院奉納相撲も行なわれていた。
力石と石塔
敷地の一角に、金網の柵内に石仏や石塔・石碑がまとめられている。
柵をのぞくと「さし石」と刻まれた力石や年代不詳の青面金剛像庚申塔や住職の墓石などが確認できた。力石は、江戸時代、最勝院の境内で行なわれた力比べのときに使われたものかもしれない。
窮民救済の碑
裏手には、越谷市の有形文化財〈歴史資料〉に指定されている「窮民救済の碑」(きゅうみんきゅうさいのひ)がある。上の写真の左側の石碑。
江戸後期・天保4年(1833)から天保7年(1836)にかけて全国的を襲った大飢饉(天保の飢饉=てんぽうのききん)のさいに、御貸付所(おかしつけじょ)に預金していたお金を全額おろして村内の農民に与え、農民を飢饉から救った瓦曽根村の名主・中村彦左衛門(なかむらひこざえもん)の功徳をたたえて建てられた。
御貸付所(おかしつけじょ)は当時の幕府の銀行です。武士や町民などに利子をとって融資も行なっていました。
照蓮院
続いて、さくら幼稚園の裏手から照蓮院(しょうれんいん)へ向かった。ちなみに先ほどの最勝院(現・照蓮院駐車場)は照蓮院の末寺(まつじ)だった。末寺とは本山(本寺=ほんじ)の支配下にある寺院のこと。本寺が照蓮院、末寺が最勝院、という関係。
歴史
山門をくぐって本堂前へ。照蓮院は真言宗の寺院。創建年代はつまびらかではないが、天正19年(1591)に徳川家康から寺領5石の御朱印状を拝領したと伝えられていることから、由緒ある古刹であることは間違いない。
五輪塔
照蓮院の墓地の一画に、小さな五輪塔がある。
千徳丸供養塔
この五輪塔は、安土桃山時代の天正10年(1582年)、武田家滅亡の折、この地・瓦曽根村に落ち延びて、病気で早世した武田勝頼の遺児・千徳丸(ちとくまる)の供養塔。江戸前期・寛永14年(1637)造塔。墓石には「御湯殿山千徳丸」と刻まれている。
この五輪塔は「千徳丸供養塔」の名称で、越谷市の記念物(史跡)にも指定されている。
千徳丸をともなって瓦曽根村に隠れ住んだ武田家の家臣・長慶(ながよし)は、千徳丸が没したあと、照蓮院の住職になって、菩提を弔った、と伝えられています。
千徳丸供養塔に合掌したあと境内へ戻る。
郵送できる?はがきの木
境内の一画に、5メートルほどの木がある。「この木は、はがきの木なんですよ」と、ガイドさんが教えてくれた。えっ? はがきの木って、なんだ?
ガイドさんの話を要約すると、この木は、「タラヨウ」(多羅葉)という名前の常緑広葉樹で、尖ったもので葉っぱに字や絵を描くと、茶色っぽく浮かび上がるので、宛先を書いて定形外の切手を貼れば、ちゃんと送ってもらえるそうだ。
葉書の語源にもなっている
タラヨウの葉は、戦国時代には、通信手段としても使われたとか。ちなみに、はがきは漢字で「葉書」(葉っぱに書く)と表わすが、この葉っぱは、タラヨウのことだそうな。へ~、はがきの木かぁ……。いい話を聞いた。ガイドさんありがとう。
照蓮院の見学はこれで終了。照蓮院をあとに元荒川の右岸沿いの道をしらこばと橋に向かって歩く。