越谷市北越谷(旧大沢町)にある弘福院(こうふくいん)の標石や石仏石塔などの石造物を写真とともにお伝えする。
弘福院

調査したのは 2026年5月6日。まずは弘福院について簡単に触れておく。
創建年代は不詳。江戸後期・幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』には、「大澤山観音寺弘福院と称され、本尊には阿弥陀如来を安置し、末田(すえだ=現在のさいたま市岩槻区)金剛院の末寺」(※1)とある。
※1 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「大澤町」149頁
円空仏

出典:越谷市デジタルアーカイブ(※2)
本堂には、江戸時代の修験僧・円空(えんくう)が彫った仏像(釈迦如来坐像)が一体安置されている(上の写真)
越谷市内で円空仏を保有する寺院は三箇所(安国寺・西福院・弘福院)のみで、越谷市の有形文化財に指定されている。
※2 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 大沢・弘福院 円空仏 )
それでは弘福院の「石造物」を見ていく。
石造物
調査した石造物は七基。
- 標識石塔
- 光明真言塔
- 青面金剛像庚申塔
- 文字庚申塔
- 馬頭観音像塔
- 水盤
- 宝篋印塔
標識石塔

山門脇の角地にある山状角柱型の石塔は、明治38年(1905)年3月建立の標識石塔。
正面に「八十八箇所 新四国弘法大師掛所」と刻まれている。
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、正面の銘について、「弘福院は、一番の西新井大師(足立区西新井)から始まる新四国八十八箇所巡礼に関連した寺院で、掛所(かけしょ)とは、休泊所をかねた番外の寺院のことであろう」(※3)と述べている。
※3 加藤幸一「大沢町・越ヶ谷町の石仏」平成13年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)「弘福院」30頁
側面

右側面(向かって左面)の銘は「観世音菩薩 大澤 弘福院」、左側面(向かって右側)には「明治三十八年三月」のほか寄進者名が刻まれている。
無縁墓

山門をくぐって左手、壁に沿って無縁墓がまとめられている。中央に「浄雲地蔵尊」と台石に刻まれた丸彫りの地蔵菩薩立像が安置されている。
無縁墓に向かって左手前方には六地蔵、右前方には四基の石塔が並べられている。
四基の石塔

四基の石塔を向かって左から順番に見ていく。
光明真言塔

左端は、光明真言塔(こうみょうしんごんとう)。江戸中期・正徳2年(1712)造塔。石塔型式は駒型。
光明真言

上部に、密教の光明真言の梵字(23文字+休止符「ソワカ」)が、円形に刻まれている。
銘|唱誦二百万遍供養

下部の主銘は「唱誦二百万遍供養」。脇銘は「乃至法界」「平等普利」。その他「正徳二壬辰天」「六月吉日」「大沢町」「願主 浄仙」の文字が刻まれている。
「唱誦二百万遍供養」の銘から、この石塔は、光明真言を二百万遍唱えた記念に建てられたことがわかる。
青面金剛像庚申塔

左から二番目は、青面金剛像庚申塔。江戸中期・享保6年(1721)造塔。石塔型式は駒型。
最頂部に青面金剛を表わす梵字「ウーン」。彫刻は上から「日月」「青面金剛像」「二鶏」「邪鬼」「三猿」
青面金剛は、一面六臂(いちめんろっぴ=顔がひとつで腕が六本)の合掌型。両手で合掌。持物は、左上手に法輪(らしいもの)、左下手に弓、右上手に矛、右下手に矢。
銘|左側面

左側面(向かって右側)の銘は「奉造立庚申像為二世安楽」
銘|右側面

右側面(向かって左側)には「享保六辛天 二月廿九日 敬白」と刻まれている。
文字庚申塔

左から三番目は文字庚申塔。江戸中期・宝永6年(1709)造塔。石塔型式は駒型。下部に三猿が陽刻されている。
最頂部に青面金剛を表わす梵字「ウーン」。主銘は「奉造立庚申講二世安楽所」。脇銘は「宝永六己丑天」「二月吉祥日」「大沢町」。その他、寄進者の名前が刻まれている。
馬頭観音像塔

向かって右端は、馬頭観音像塔。年代不詳。石塔型式は舟型。中央に、三面六臂(さんめんろっぴ=顔がみっつで腕が六本)の馬頭観音立像が浮き彫りされている。
水盤

本堂に向かって右手の生け垣沿いに、江戸中期・明和4年(1767)に寄進された水盤(すいばん)が置かれている。
正面の銘は「奉納」「水盤」「明和四丁亥年」「六月吉日」のほか、寄進者三人の名前。左側面(向かって右側)にも文字が刻まれているが、風化によって、判読できなかった。
寄進者

寄進者三人の銘は、「武江 柳橋同朋町 渡邊傳左衛門」「同 神田花房町 伊東藤兵衛」「同 飯田町 池田茂兵衛」とある。
武江(ぶこう)とは、江戸の別称。武蔵国江戸の略語。「柳橋同朋町」「神田花房町」「飯田町」は、かつて江戸に存在した町名。
弘福院と江戸との関係を示す貴重な資料といえそうだ。
宝篋印塔

本堂に向かって左手にある大きな石塔は宝篋印塔(ほうきょういんとう)。江戸中期・延享5年(1748)造塔。
宝篋印塔とは『宝篋印陀羅尼経』(ほうきょういんだらにきょう)を納める経典供養塔のこと。下から基壇・基礎・塔身・笠と積み上げ、いちばん上に相輪が建てられている。
寄進者|嶋根宗弥

塔身の部分に「供養施主」「奉誦法華蓮教五萬部」「嶋根宗彌」と刻まれている。この銘から、この石塔は「嶋根宗彌」という人物が寄進したことがわかる。「彌」は「弥」の旧字体。以下、「宗弥」と記す。
この宝篋印塔と寄進者の嶋根宗弥について、『越谷ふるさと散歩(上)』(※4)に、次のような記載がある。以下、引用・抜粋。
江戸中期・寛保3年(1743)7月、弘福院観世音開帳のさい、大沢町の島根宗弥が頭取で花火興行が行なわれたが、これがもとで本堂庫裏とも残らず焼失する火災になった。
そこで、島根宗弥は金一千両を投じ、弘福院諸堂を再建したが、この竣工を記念して造立されたのが、この宝篋印塔である。
その後、弘福院は、江戸後期・天明4年(1784)再び火災にあって諸堂はすべて焼失したが、宝篋印塔だけは今に残って当時をしのばせている。引用元: 『越谷ふるさと散歩(上)』(※4)
※4 越谷市役所『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)「弘福院と照光院」pp.15-16.
参詣情報

弘福院の住所は埼玉県越谷市北越谷1-21-26。場所は、東武伊勢崎線・北越谷駅西口から東武線のガード下を越谷駅方面に進んだ600メートル先( 地図 )。駐車場は山門の横・壁に沿ってある。
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
弘福院(https://koofukuin.or.jp/)(2026年5月5日閲覧)
加藤幸一「大沢町・越ヶ谷町の石仏」平成13年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)





