2021年4月8日。越谷市郷土研究会・地誌研究倶楽部主催の巡検に参加。東武伊勢崎線・新田駅東口を起点に、綾瀬川沿いにある藤助河岸跡・蒲生の一里塚をはじめ谷古田用水跡や古綾瀬川周辺の古道を歩きながら社寺にも立ち寄り、越谷市蒲生東部地区の石仏や歴史を巡った。

集合|新田駅東口

新田駅東口

集合場所は東武伊勢崎線・新田駅東口。受付時に新型コロナウイルス感染症対応による検温を行なったあと資料を渡された。参加者は17人。今回参加したのは越谷市郷土研究会・地誌研究倶楽部が主催する巡検「蒲生村の石仏と歴史・東部編」
 
主な巡回先は、藤助河岸…江戸時代の谷古田用水跡…蒲生の一里塚…古綾瀬川…道沼の寮の庚申塔…道沼の八幡社…谷古田用水(さんがわ)…光明院…不動道…一本松の茶稲荷…不動道の道しるべ…ほか。

出発

出発前の挨拶

13時。地誌研究倶楽部の代表・秦野秀明氏のあいさつのあと、案内役を務める越谷市郷土研究会の加藤幸一氏からマスク着用と密集や会話に可能なかぎり気を配ることなどの注意事項が伝えられ、13時10分、出発。

ふれあいロード

ふれあいロード

新田駅東口ロータリーから駅前通り(ふれあいロード)を直進。200メートルほどで左右に伸びる足立越谷線とのT字路に出る。

路地

路地

信号(金明町)を渡って足立越谷線の東側(ビジネスランド裏手)の路地を歩く。「アデ川」と書かれたのれんをかけている質屋がある。今でこそ質屋は大通りに面した場所に店をかまえているが、昔は質屋といえば、こうした路地でひっそりと商いを営んでいたものだ。

新田側の茶屋通り

綾瀬川右岸沿いの旧日光街道

路地を抜けると綾瀬川右岸沿いを通る旧日光街道に出た。右手に見える橋は槐戸橋(さいかちどばし)、左手の橋は蒲生大橋。

案内役の加藤氏

この道は昔の日光街道です。ここは草加と越谷の中間地点にあたるので、江戸時代には、綾瀬川の両岸に、休憩場所を兼ねた出茶屋が並んでいる茶屋通りがありました。こちらの場所は新田(草加)側の茶屋通り。対岸は蒲生(越谷)側の茶屋通り。蒲生側には現在も「茶屋通り」という名称の道が残っています。

金明愛宕神社

金明愛宕神社

13時20分。右に(綾瀬川の下流に向かって)60メートルほど進むと金明愛宕神社(きんめいあたごじんじゃ)がある(草加市金明町15-1)。創建年代は不詳。祭神は軻遇突智命(かぐつちのかみ)。平成3年(1991)7月に再建された。

槐戸橋

槐戸橋

金明愛宕神社から40メートル。綾瀬川に架かる槐戸橋(さいかちどばし)に到着。柱に巨大カブトムシの鉄製オブジェがへばりついている。どうしてこんなところにカブトムシが? 案内役の加藤氏から解説があった。

案内役の加藤氏

槐戸橋の槐戸(さいかちど)は、綾瀬川左岸にあった江戸時代の槐戸村(さいかちどむら)が由来です。槐の木(サイカチノキ)が多く茂っていたことが由来と思われます。ここより上流の大間野村から越巻村にかけて、地元の古老によると、綾瀬川沿いに槐の木が繁茂し、槐虫(さいかちむし=カブトムシ)が住みついていたそうです。下流の槐戸村でも、江戸時代の初期には古綾瀬川流域には槐の木が生い茂っていて、そこにもカブトムシがたくさん住んでいたと推測できます。

慰霊碑

慰霊碑

槐戸橋を渡って綾瀬川の左岸側に入る。左手の角地に「慰霊碑」と刻まれた石碑がある。この石碑は、1991年(平成3年)9月7日、槐戸橋の架け替え工事のときに命を落とした二名の慰霊碑。石碑の裏面には事故死した二名の名前が刻まれている。
 
慰霊碑に手を合わせ次の巡検先へと向かった。

綾瀬川左岸|谷古田用水跡

綾瀬川左岸|谷古田用水跡

綾瀬川左岸側の道を上流に向かって歩く。左手前方に見える橋は愛宕橋。江戸時代から昭和30年代初期までは、この道路の右側を谷古田用水(※1)が流れていた。

※1 谷古田用水(やこたようすい)…越谷市と草加市にまたがる農業用水路で、江戸前期・延宝8年(1680)に通水された。綾瀬川左岸と古綾瀬川に囲まれた五つの村に田んぼの水を給水する用水だったので、江戸時代は「五ヶ村用水」(ごかそんようすい)ともよばれた。

谷古田用水跡|江戸時代の締切橋跡

谷古田用水跡|江戸時代の締切橋跡

斜め右に細い道を入る。ここも谷古田用水跡。今は溝蓋がかけられて、通り道になっている。江戸時代の初期には、ここから真っすぐ綾瀬川に注がれていたが、綾瀬川が排水専門になったために、ここで谷古田用水を堰き止めて、綾瀬川に注水していた流路を左に曲げ、先ほど通ってきた綾瀬川左岸に沿って水路を作った。昭和30年代まではその名残があった。

案内役の加藤氏

綾瀬川に流れ込んでいた谷古田用水を堰き止めて流路を変えたこの場所に、締切橋(しめきりばし)と呼ばれる橋があったと推定されます。「締切」(しめきり)という名前は、谷古田用水が綾瀬川に流れ込んでいたのを締め切ったからと思われます。

綾瀬川左岸側の道に戻って、次の巡検先へ

藤助河岸跡

藤助河岸跡

13時40分。藤助河岸跡(とうすけかしあと)に到着。綾瀬川の舟運が盛んなころに、この場所には、高橋藤助(たかはしとうすけ)家が経営する河岸場、通称「藤助河岸」(とうすけかし)があった。旧日光街道と綾瀬川が交差するという地の利を生かして、綾瀬川を代表する河岸場のひとつとして栄えたが、大正9年、東武鉄道に越ヶ谷駅が開設されたのを機に衰退。昭和初期に廃止さた。平成5年(1993)、河岸にあった荷上げ場の一部が復元され、当時の面影をしのぶことができる。

藤助酒店

藤助酒店

藤助河岸跡から道を隔てたはす向かいにある酒屋は、高橋藤助の子孫が営む藤助酒店。越谷市蒲生愛宕町12-4。二階が格子になっている木造の町屋造りが歴史の長さを物語っている。

綾瀬川の川幅と舟運について

綾瀬川の地図

同行した郷土研究会の大谷氏から「かつて綾瀬川の川幅は今の三分の一ほどしかなく、河川敷には集落もあった。その後、川幅の拡張工事が行なわれ、河川敷に住んでいた人たちは別の場所に移され、集落だった跡地は川底に沈んでいる」という解説があった。
 
また、綾瀬川の舟運についても大谷氏が話をしてくれた。

大谷氏

舟運が盛んだった当時、綾瀬川では、年貢米をはじめさまざまな特産品や荷物が運ばれていました。荷物の輸送には大型船から小型船まで多くの舟が使われました。荷物の重さや種類によって、似関舟(にたりぶね)高瀬舟(たかせぶね)関舟(せきぶね)中関舟(なかせきぶね)茶舟(ちゃぶね)などの舟が使われたことが記録に残っています。

 
藤助河岸跡をあとに綾瀬川左岸を上流に進む。なお藤助河岸の中心は、ここにあった荷上場から少し上流の綾瀬川に流入する手前の出羽堀に河岸場があった。

愛宕橋

愛宕橋

藤助河岸跡から約20メートル。手前の白い手すりの橋は愛宕橋(あたごばし)。その先の橋は綾瀬川に架かる蒲生大橋。愛宕橋の下を流れるのは出羽堀。この場所で出羽堀が綾瀬川に注がれている。いわばこの場所が出羽堀の最終地点となる。

石仏|蒲生の一里塚横手

愛宕橋の手前を右折。階段を降りると右側に石仏が並んでいる。手前から「成田山」道標石塔(江戸末期・安政4年=1857)十三仏供養塔(江戸中期・宝暦9年=1759)不動明王像(江戸中期・宝暦9年=1759)六地蔵(江戸中期・享保5年=1720)
 
石仏の横手にある小山は蒲生の一里塚(がもうのいちりづか)

蒲生の一里塚|愛宕神社

蒲生の一里塚|愛宕神社

14時。蒲生の一里塚に到着(蒲生愛宕町)。一里塚とは、江戸時代、街道沿いに一里(約4キロ)ごとに設置された塚のこと。塚の上にエノキやマツなどを植えて、距離を示す目印や旅人の休息の場とされた。蒲生の一里塚は埼玉県内の日光街道筋に現存する唯一の一里塚で、埼玉県の史跡にも指定されている。
 
蒲生の一里塚は地元では「一里山」(いちりやま)と呼ばれていた。江戸時代は日光街道を挟んで二基の一里塚があった。現存しているのは東側の一里塚。江戸時代、東側の一里塚には、日光街道と一里塚の間に「一里橋」と呼ばれた橋が架かっていて、その下を出羽堀が流れていたという。また、この一里塚の上に現在、愛宕社が祀られているが、愛宕社は元は一里塚の北隣に地蔵堂・愛宕社の順に並んでいたようだ(日光道中分限延絵図)。

さんがわ|谷古田用水

さんがわ|谷古田用水

蒲生の一里塚から北東に60メートル。丁字路に出た。越谷市と草加市の境界にあたる。前方50メートルほど先に見える並木道は、さんがさくら通り。その脇を流れているのは谷古田用水。谷古田用水は、現在は、この場所(歩道の下)を通り、流路を変え、古綾瀬川に注水されている。

案内役の加藤氏

谷古田用水は、谷古田用水そばの地元では昔から「さんがわ」と呼ばれていました。周辺の地域では、なまって「さんが」と呼ばれています。現在は「さんが」の呼び名が一般的になりました。「さんがわ」の「さん」とは、谷古田用水が流れる瓦曽根(かわらぞね)登戸(のぼりと)蒲生(がもう)の三つの村をさしていると思われます。

古綾瀬川

古綾瀬川

谷古田用水が左に流路を変えた地点。ここが古綾瀬川。今は川幅も狭く、川というよりはどぶ川といった感じだ。航空写真で見ると曲がりくねっている川になっていることがよく分かる。古綾瀬川は越谷市と草加市の市境になっている。江戸時代は、埼玉郡と足立群の郡境だった。

案内役の加藤氏

蒲生大橋の下流の綾瀬川は、江戸時代の初期に掘られた人工の川でした。本来の綾瀬川は、現在の古綾瀬川筋に曲流して流れていました。また、古綾瀬川の流路はつねに変化していたようで、地図を見ると、明治時代と現在の流路には違いが見られます。

古綾瀬川に沿って歩く

古綾瀬川沿いを歩く-1

古綾瀬川に沿って東へ歩く。

古綾瀬川沿いを歩く-2

古綾瀬川の両側は住宅地になっている。

古綾瀬川沿いを歩く-3

一部、通行止めになっている箇所もあった。

古綾瀬川沿いを歩く-4

迂回して流路に戻り、東へ進む。綾瀬川を挟んで左が越谷市、右が草加市。

古綾瀬川沿いを歩く-5

コンクリートで蓋をされた古綾瀬川を進むと右手前方に公園が見えてきた。

八幡西公園|トイレ休憩

八幡西公園|草加市八幡町

14時30分。八幡西公園(やはたにしこうえん)へ到着。草加市八幡町933-1。20分間のトイレ休憩。